遅い気もするけれど、我が村の山々は紅葉の真っ盛り。落ち葉も目立ちだして、近所のじいちゃんばあちゃんが枯葉を集めては火をつけております。そんな焚き火の香りが風に漂い、匂いで季節を感じるのが好きな僕にはたまらない。
春は多くの新しい命を育むけれど、冬は多くの命を散らす。産卵を終え、その短い生涯を終わらせようと、じっとして動かないカマキリを何匹か見かけた。羽もボロボロ、眼は濁り、死骸かと思ってつつけば、四肢もとい六肢をぴくりと動かす。人間でいうところの晩年、カマキリでいえば晩日というべきか、永眠までの時間が例年より暖かい故に延びているのだろう。夏にはその刺々しい両の鎌で、他の虫を残酷なほどに強く掴み、ちょんと指で突こうものなら、羽を広げて鎌を揃え、いつでも襲いかかれる姿勢で威嚇する。それが今やボロ雑巾のように這いつくばって、ぴくぴく動くのが精一杯だ。
やはり、時の経過には勝てぬのか、それとも、カマキリなんざその程度なのか。
なんの話をしたいのか。
人間は、今や五体を使って生きるために格闘する生物ではなくなった。みなさんそれなりに仲良くしている。本気で生きるために格闘する場合、ほとんどの場合武器を使う。戦争っちゅうやつだ。生身の体で人と人が格闘するとすれば、ケンカか、格闘技くらいだ。
格闘技。領土を得るためでもなく、食べ物を争うでもなく、メスを争うでもなく、その実力を競わんがために、人と人が体を駆使して相手を倒す。転じて格闘家なる職業も存在し、彼ら自身は生きるために闘っているが、やはり観戦する者が必須ゆえ、イベントである事は否めない。
強いとは何なのか。誰が強いのか。それを知りたいがために多くの人間が体を鍛え、闘い方を身につける。
武闘方法、それにもいろんな種類がある。また格闘技を見る上で、選手のバックグラウンド、どういう格闘技を経て強さを見せ付けてくれるのか、そこらへんの違いを楽しむ事もできる。
ボクシング、アマレス、プロレス、サンボ。世界中にはありとあらゆる格闘技がある。そしてここ日本は、何百年も前からあらゆる武術が存在している。
柔道、柔術、空手、骨法、相撲、忍術。
日本のこれらの古武術を経て、総合格闘技に挑む人間が数多くいる。
日本古来の武術の一つ、合気道。僕は合気道が、殴る蹴る掴む投げるといった攻撃をしてくる相手に、どれほど有効かという疑問を長年持っていた。
「合気道は、そういう時のために使うものではない」
師範代の方にそんなふうに言われたら、すんませんでしたぁ~と尻尾を巻きそうだけど、気になるもんは気になる。そして、心の片隅で、合気道を極めた老人が、突進してくるデカい相手を、「えいや~!」と投げ飛ばしてくれる、そんな漫画のような光景を思い描いたりする。
11月26日、こんな闘いがあった。
柳龍拳(大東流合気道)
VS
岩倉豪(バルボーザ柔術・総合格闘家)
これは、合気道の試合でも、古武道の演舞でもない。頭突き、金的以外OKの、ガチンコ勝負だ。
しかも、グローブ、マウスピースなし。そして、なにより驚くべきは、
この柳龍拳なるお方、大東流合気道の師範であり、気孔術まで使いこなし、
なんと、
今年で65歳になる。
やったのか、65歳の方が、ガチンコ勝負を。対する岩倉氏は36歳。マーク・コールマンより若い。
合気道とは強いのか、気孔なるものは実戦で使えるのか、65歳でも師範ともなればやはりむちゃくちゃ強いのか。
その答えはここにある。(黒いほうが柳さん)
YouTube - (合気達人)柳龍拳 VS (総合格闘家)岩倉豪
あちゃ~。
こ、これ、大丈夫なのか・・・。本当に、大丈夫なんだろうか・・・。未だかつて、ここまで心配した闘いはない。「救急車呼んで!」って・・・。
これだけで、合気道=弱い なんて当然思ってないが、「武道の達人の老人が大きな相手を投げ飛ばす」という幻想は消えた。
合気道の逆襲はあるのか。